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ダミアーニ(DAMIANI)
   
ダミアーニ(DAMIANI)
 
・1924年に創立したイタリアのジュエリーブランド。

もともとはファクトリーブランドと呼ばれるように、ダミアーニ創業の土地ヴァレンツァは、イタリアで最も数多くのジュエリー職人が集まる宝飾工房村です。

現在でもファミリー企業であるため、会長のガブリエラ、CEOのグィドー、クリエイティブディレクターのシルヴィア、副社長のジョルジオと結束の強いブランド。

軌跡は創始者エンリコ・グラッシ・ダミアーニの造るジュエリーが当時の貴族から注目を集めるようになり、二代目のダミアーノ・グラッシ・ダミアーニがジュエリーブランドとして名を上げました。

ダミアーノは、1958年に父エンリコから小さなアトリエを譲り受け、1976年から宝飾デザインコンテストの最高峰であるダイアモンド・インターナショナル賞を受賞し続け、ついに、イタリア最大ジュエリーメーカーとなりました。このダイアモンド・インターナショナル賞を欧米ブランドとしては最多の18回受賞。

1996年のダミアーノの急逝以降は3代目グィドーが経営を引き継ぎ、主要都市にブティックを次々とオープンさせ、2000年末に社名をダミアーニ・グループと改めて国際的に躍進しています。 この間、1994年から始まった、後にホワイトジュエリーと呼ばれる作品が1994年から1998年まで、2年ごとにコレクションを発表しています。

ビジネス成功後はイタリア文化遺産の保護として、歴史的芸術作品や建造物の修復を援助するなど社会に大きく貢献しています。

現在ヴァレンツァの工房には、クラフトマン約500名が働きダミアーニの魅力である立体的なボリューム感とフィット感、イタリア職人技の手仕上げ、存在感あるデザインで数多くのコレクションを世界中に送り届けています。

ブランドとしての歴史は浅いですが、イタリアンジュエリーを世界的に知らせた功績、DIAを18回受賞した経歴はジュエラー、そしてスーパーブランドとして十分な力を持っています。近年はメンズジュエリーにも力を入れ、各プレスから絶大な評価を得ています。

ドルチェ&ガッバーナ(DOLCE & GABBANA)
   
ドルチェ&ガッバーナ(DOLCE & GABBANA)
 
 ドメニコ・ドルチェ(Domenico DOLCE)。1958年8月13日、イタリアのシチリア島に生まれる。丸禿げで眉毛もなく、目が大きく丸い、おちょぼ口の、かなり小柄な男性。生家は縫製工場を経営、彼は工場を手伝っていた。マランゴーニ・ファッション学園出身。

"スタイルとは内にあるもので、それを追求し、選択する者自身である"というのをコンセプトとし、自由かつ確実なライフスタイルそのものを提案するドルチェ&ガッーバナ。

俗に"モダンバロック"と呼ばれる、情熱的且つ華やかな半面、エレガントでゴージャスな服作りを根幹に置く一方、斬新で妙なこだわりが特徴的。裏地がヒョウ柄のスーツというのは、常人ではなかなか思いつかないであろう。

カラフルなところも印象的。現代と過去の融合を表現しようとするその姿勢は、まさに次世代の中心的なメゾンとなろうとしていることを暗示する。

とにかく派手なことが好きな方には最適なブランドである。DOLCE & GABBANAは走り続ける・・・

田崎真珠
   
田崎真珠
 
1954年創業。会社設立は1959年。国内で真珠の生産及び加工販売を行っている企業としてはトップクラスの実力があり、日本真珠振興会が主催する全国真珠品評会では農水大臣賞を7度受賞の実績を誇っている。

1990年代にデビアスグループからダイヤモンド原石を購入する権利を取得してダイヤモンド事業に本格参入。日本有数の総合宝飾品メーカーに成長。

尚、ダイヤモンド・トレーディング・カンパニーでは日本で唯一、DTCサイトホルダー資格を保有されている企業でもある。また、本社内にある田崎パールプラザでは、同社が誇るモニュメントも展示されている。

2007年12月田崎真珠の筆頭株主(11%強)を有するサハ・ダイヤモンドからサハの取締役を田崎真珠の役員に選任するよう提案があったものの、これに反対する意見を表明した。

タケオキクチ(TAKEO KIKUCHI)
   
タケオキクチ(TAKEO KIKUCHI)
 
 菊池武夫(Takeo KIKUCHI)。1939年、東京に生まれる。
ロマンスグレーに髭がトレードマークのダンディな男性。

タケオキクチ(TAKEO KIKUCHI)は、株式会社ワールドのファッションブランドの一つ。1984年にワールドに移籍したデザイナーの菊池武夫が設立。2004年S/Sより信國太志がクリエイティブディレクターを務める。

英国風のスタイルと幅広いラインナップが特徴である。

1999年からは、セカンドラインにあたる「TK TAKEO KIKUCHI」を
発表しました。
「TK TAKEO KIKUCHI」も、ストリートもうまくからめた
魅力的なブランドです。

「TK TAKEO KIKUCHI」のコンセプトは、
「サブカルチャー・ユニセックス・和・対極・東京」です。
「TK TAKEO KIKUCHI」は、そのようなコンセプトをベースに
新たな服を提案し続けています。

信國太志が、2003年には、株式会社ワールドと契約して、
2004年から「TAKEO KIKUCHI」の
クリエイティブディレクターをつとめています。

dinh van(ディンヴァン)
   
dinh van(ディンヴァン)
 
「ディンヴァン」は、ジャン・ディンヴァン氏の手によるジュエリーコレクションです。彼は、クラフトマンであり、アーティストであり、ジュエラーであり、類まれなデザイナーなどと様々な形容詞で呼ばれています。

パリでフランス人の母とベトナム人の父との間に生まれ、パリ装飾芸術学校を出たあと、カルティエで10年間ジュエリーメイキングの技術やデザインを学んだ経験を持ちます。1965年に自身の会社を興し、「ディンヴァン」ブランドを立ち上げました。

ジャン・ディンヴァン氏は、ファインジュエリーを伝統的なスタイルから解放し、オーセンティックで且つシンプルなものに、価値観を覆したパイオニアといわれています。

彼は「美とは、おびただしい数のダイヤモンドを必要とすることではない」と語っています。「ジュエリーは虚飾ではなく、身に付けている女性のパーソナリティを映し出すもの。ジュエリーは金庫に置いておくものではなく、毎日いろいろな場面で身に付けられるべきものです」というのが持論です。彼のクリエーションは、虚飾とは正反対で本質的なものです。

また、ジュエリーは女性のものという概念を覆し、世界で初めてメンズジュエリーを発表したことでも有名です。ユニセックスであること、年齢にこだわらないことが物づくりの基本です。正方形の指輪、円形のペンダントや、手錠型の留め金の付いたペンダントなど、「私の創り出すジュエリーはドアハンドルのように役に立つと同時に、興奮と感情を起こさせるものであって欲しい」ということがジャン・ディンヴァン氏の創作コンセプトになっています。

現在、「ディンヴァン」ブランドは、フランスはパリをはじめ直営7店舗で販売され、またベルギー、スイス、イギリス、ポルトガル、台湾などで展開されています。

ターゲットは20代後半から30代半ばの男女を想定し、主な商品の販売小売価格帯はリング が45,000円〜700,000円、ネックレス29,000円〜2,500,000円、ブレスレット35,000円〜800,000円、イアリング・ピアス75,000円〜200,000円となっております。

deaf breed(デフブリード)
   
deaf breed(デフブリード)
 
デフ ブリードとは
 
『無人の奇抜街道をどこまでも独走し続けるオンリーワンの存在感に酔いしれろ』

誰も踏み込むことの出来ない特異な世界観を繰り広げる、日本ブランド屈指の天の邪鬼。

独特のデザインと細かい作りが人気のdeaf breed(デフ・ブリード)。
2000年にデビューして以来、卓越された彫金技術、メカニカルと生命感を
両立したデザインは他にはないオリジナリティーを持ち、孤高のスタイルを築きあげている現在注目のドメスティックブランドです。

また、有名アーティストが着用していることでも話題になりましたが、最近ではその技術の高さから、次々とシルバーファンの注目を集めています。

ティファニー(Tiffany & Co.)
   
ティファニー(Tiffany & Co.)
 
1837年、チャールズ・ルイス・ティファニーが友人のジョン・B・ヤングと共にニューヨークのブロードウェイにティファニー・アンド・ヤング(TIFFANY & YOUNG)社を設立し、ファンシーグッズとステーショナリーの店としてスタート。

陶器や骨董品等、厳選した商品のみを販売するという姿勢で共感を呼ぶ。51年、銀細工の名人を迎えてオリジナルの銀製品を発売。以降、ジュエリーブランドとして成長する。

53年、シードパール(小粒の真珠)を使った豪華なジュエリーがアメリカ社交界で流行する。

86年、6本立爪の「ティファニー・セッティング」を発表。以後、ダイアモンドを最も美しく魅せるものとして定着する。

以上のように、ティファニーは着実に社会に浸透し、19世紀末には諸国王室・皇室御用達のジュエリーブランドとなる。

特に、パールにまつわる逸話が多いため、パールはティファニーを象徴するものとして認識される。

ドゥシャン(DUCHAMP)
   
ドゥシャン(DUCHAMP)
 
・1988年に創立したイギリスのジュエリーブランド。
・創立者はミッチェル・ジェイコブス(Mitchell JACOBS)。
・ブランド名の由来は、ミッチェル・ジェイコブスが尊敬する、20世紀美術に決定的な影響を残したフランス人美術家であるマルセル・デュシャン(Marcel DUCHAMP)。

カラフルなカフリンクスとネクタイが特徴の「ドゥシャン」。
他のブランドとは一線を画したアイテムは、デザイナーの信念が色濃く反映されています。

手作業で作られ、デザイン性のみならず、クオリティーの高さでも他に類を見ないドゥシャンのアイテムは、世界中で高い評価を受け、根強いファンを獲得しています。

dunhill(ダンヒル)
   
dunhill(ダンヒル)
 
1880年にアルフレット・ダンヒルが、馬具専門製造卸売業としてロンドンで
創業した。その後、1893年には衣類や小物の製造業にも乗り出すなど
事業を拡大し、20世紀に入り自動車が普及してきてからは自動車旅行用品を多く売り出した。

その種類の豊富さは、しばし「クルマ以外なら何でも揃えている」と表現される。

現在は、ブリティッシュ・アメリカン・タバコ社を通じてタバコや葉巻ブランドを展開する他、ライターやパイプなどのタバコ用小物やバッグ、時計や
衣料品など様々なジャンルの製品を製作しており、女性向け製品も製作するものの、基本的には男性向け製品を主に展開している。

また、二代目、三代目の当主が『パイプの本』、『ダンヒルたばこ紳士』の二冊の書物を残している。

デビアス(De Beers)
   
デビアス(De Beers)
 
会社の名前は、ヨハネス・ニコラス・デ=ビアとディーデリック・アーノルダス・デ=ビアの、二人のアフリカーナー人農民の農場名に由来している。

オレンジ川とバール川が合流する、ヴールイトツィヒトと呼ばれる地点の付近でダイヤモンドが発見された。

しかし兄弟は続いて起こるダイヤモンドのラッシュに農場を維持することができずに、6300フランで農地を売ることになった。

兄弟は鉱山の所有者にはなれなかったが、これらの鉱山のうちの1つは二人に由来して命名されている。セシル・ローズおよびチャールズ・ラッドは、デビアス鉱山とキンバリー鉱山の2つの権利を握りこれらを合併した。成形加工デビアスは鉱山会社を統合することとなった。

1902年には、デビアス・サッカークラブが、デビアスが南アフリカケープタウン岸と西ケープ州の近くにダイナマイト工場を建設した際に設立された。その工場はローレンス川河口の真西、フォールス湾海岸に置かれた。

20世紀には、オッペンハイマー家が大口株主になった。アーネスト・オッペンハイマー卿、彼の息子ハリー・オッペンハイマーおよび彼の孫ニッキー・オッペンハイマーがそれぞれ会長に就いている。(アレックス・オッペンハイマーおよびテーラー・プラント、両方の相続人および親類も参照)

19世紀後半に南アフリカは“鉱物革命”と呼ばれる迅速な産業化を経験し、金やダイア鉱山での労働者の需要が高まった。

キンバリーでは、労働力の大部分はコイコイ人とゾーサ人の季節労働者によって担われた。彼らは夏に賃金のためにダイア鉱山で働く若者である。

しかし彼らは不安定な労働力であること、かつ会社が労働者のダイヤモンドの横領を常に警戒していたこともあり、デビアスは労働者の囲い込みを行った。

契約期間中、坑夫は現地に滞在しなけれればならない契約をデビアスと結ばされた。白人労働者は街に住むことを認められていたが、黒人労働者は私製通貨が支給され、宿泊・食事・会社提供の安いモロコシビール等と交換しそれで生活することが要求された。

黒人労働者は週末には街への外出が許可されていたが、1887年には月曜の朝に二日酔いで出てくる労働者を避けるため廃止された。

アパルトヘイト時代には、会社には囚人を労働力に使う許可が与えられ、19世紀末までデビアスは10,000人以上の刑務所労働者を毎日使用していた(これには議論がある)。大多数の囚人は、1952年に制定された厳密なアパルトヘイト法のために投獄されたと言われている。

現在、デビアスはロサンゼルスのビバリーヒルズ区に小売拠点を置いている。これはデビアスの米国で第二の小売拠点である。第一のはニューヨークに位置している。

[編集] マーケティング
デビアスは『ダイヤモンドは永遠と愛の象徴』として、婚約・結婚指輪の理想であると宣伝した。この非常に成功したキャンペーン活動は以下が有名である。

ロマンス映画中で結婚祝いとしてダイヤモンドを使う
有名人を使い、雑誌や新聞中にダイヤモンドのロマンチックな面を想起させるストーリーを掲載する

ファッションデザイナーや流行仕掛け人を雇い、ラジオやテレビで流行を広めるダイヤモンドを広めるために英国王室に献上する

このデビアスのPR機関N.W.アイレ親子商会によって立案されたキャンペーンは、人々にブランド名を植え付けることなく、ただダイヤモンドの理想的な永遠の価値を表現するという点で、後年長く模倣される新しい広告形式(イメージ広告)であった。日本でも黒バックに「ダイヤモンドは永遠の輝き De Beers」とだけ銀文字で大書されたCMが知られる。

このキャンペーンは成功し、アメリカのダイヤモンド市場を復活させ、それによって高価な贅沢という印象が弱まったことによって、以前は存在しなかった販路を開拓することに成功した。

例えば日本では、ダイヤモンドは西側世界のシンボルのステータスとして第二次大戦後の日本の文化発展としてプロモーションに成功した。今日では日本は世界で第二のダイヤモンド小売市場である。

また、アイレによって作成されたスローガン『A Diamond is Forever(ダイヤモンドは永遠の輝き)』はマーケティングの歴史の中で最も成功したスローガンである。

このスローガンの目的は、受け取ったダイヤモンドを転売しないよう女性を説得し、中古品による市場価格の下落を防ぐことにある。この結果、ダイヤモンド市場からは競争が排除され、小売業者は高値でダイヤモンドを売ることが可能になった。またそれは、デビアスが大規模にダイヤモンドの流通を操作することを可能にした。

現在、宝飾品レベルでのダイヤモンドは人工的に合成可能である。しかしこれが普及していないのは、供給サイドの圧力があるからだと言われている。

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